ども、てぃあごです。 今回は珍獣奇獣メニューじゃないです。(^_^; 八百万のカミと式神のお話に引かれて、ふらふらとやってきてしまいました。 えと、アイヌさんたちの精霊信仰と全く同じではないのかもしれませんが、日本の八百万も相当程度アニミズム(自然物精霊信仰)に近いものでせう。 今でこそ「神」という字を使われてしまっていますが、民俗学なぞで今なお「カミ」とカタカナで表記されるそれは、今の日本語でいうところの「意志」に近い意味の言葉で、雑に言えば「全てのものに魂は宿っている」というものであったわけです。 その「全て」の幅が広いので、いわゆる精霊信仰から少し離れて、漠然と世にあまねく在る霊体に加持祈祷する信仰になっていますが、やはり近いものなのでしょうね。 ところで「式神」ですが、TRPGにも一応登場しますね。 ほら、「天羅万象」に。(^_^; あれはもーすっかり呪文の一種ですが、自分の想った通りの意思有るものを「創り出し」、使役するという発想は元々の式神のものでせう。ここでやめときゃいいんですけど、もー少し・・ 「3×3EYES」とゆー漫画がありまして、そこに登場する「獣魔」なるものも、術者の生命力を吸い取る代わりに召喚に応じるという不思議な生き物でした。 こいつは精神力でできてる訳じゃなくて、生き物として居て、卵なんかも在って繁殖もするようでした。 で、全体的に思うんですが、日本やアジアの精霊って、よく言うことききますよね。(^_^; クトゥルフ好きなてぃあごとしては、召喚される生き物なんて我侭&乱暴でナンボ、それをどーにかこーにか言うこと聞かせるのが術師ってもんでしょ、と思うのですが。 西洋の妖精を見ると、そーいった自意識のよーなものが見えて面白いと思うのです。 土精が言った、「王が今度犬をけしかけたら、小石を王と犬とに向かって投げろ」。はたして王が再び犬を民に向けたとき、民の投げた石は大きさを増し、岩山となって王と犬との上に降り積もり、やがてその奥から犬たちの不気味な悲鳴が上がったという。 こんな精霊も、いてもいいかな、と思うのでした。では、ばい〜。(ぽん、と煙を上げて消える)
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